政策ざっくばらんと政界の裏話
 

  • 私が掲げた政策が実現できるかどうかを占う鍵は、これまで私が実現して来た実績です。それをご説明させて下さい。

 

  • 衆議院議員時代1993-2005年の12年間の実績。

 
1.412年の衆議院議員時代9本の議員立法を成立させましたが特筆すべきは次の3法です
 
(1)日本のNPO法(特定非営利活動促進法)を成立させた
自社さきがけ連立政権の時代に、私が原案を書き社会党、さきがけ、そして市民の多くの方々の意見も広く取り入れ、法案を完成しました。自民党の中に猛烈に反対する人も何人かいましたが、苦労して説得し、了解を得て衆院に提出、1993319日に成立しました。基本財産は1円もいらない、年間の運営費についても規制を設けない。要件に合えばすぐに設立を認証するが違法行為を行えば認証取り消し等厳しく対処することにしました。令和53月末で50,368法人存在し、さらにどんどん増加しています。
 
(2)栄養士法の改正。管理栄養士を厚生大臣の免許に格上げした
規制緩和の嵐の中で厚生省(現在は、厚生労働省。以下同じ)はこの改正を諦めていたのですが、管理栄養士の栄養指導の重要性を国民に広く認めてもらうために是非とも必要な改正なので、議員立法で改正を実現しました。
 
(3)銀行等の株式等の保有制限等に関する法律を改正し、株価の暴落を防いだ
BIS(国際決済銀行)規制の導入で銀行等が保有株を放出しなければならないこととなり、株価の暴落を防ぐためにこの法律で銀行等保有株式取得機構が設立されたが、買取条件が厳し過ぎてうまく機能しなかったので買取条件を緩和するとともに機構の存続期間を大幅に延長して株価の暴落を防ぎました。
 
2.介護保険法の制定を積極的に進めた。
 
3.「党首討論」の導入に貢献
衆議院議会運営委員会のメンバーとしてイギリス議会の本会議を視察、活発に行われる「クエスチョン タイム」に感動し、日本の国会にも導入すべきだと報告書を私が書き、それを視察団の団長大島理森衆議院議員(当時)が各党に諮って「党首討論」という制度としてくれました。
 
4.日本が長期デフレから脱却するのに貢献
長期デフレに日本経済があえいでいた時、日銀は政府の要請もあり毎月6兆円国債を買い入れていましたが、償還期日直前の国債ばかりを買い入れていました。翌月には政府から6兆円返済されるので極端に言えば日銀券を一枚も増刷する必要がないことを発見し、2度目の総理になる直前の安倍晋三氏が岡山に来た時に、これを伝えたところ、「知らなかった。」と言い、すぐ白川日銀総裁(当時)を呼び、白川総裁は辞表を提出、安倍総理は財務省の元財務官の黒田氏を日銀総裁に任命、黒田総裁は、異次元緩和を実施、日本経済を長期デフレから脱却させました。
 
 

  • 厚生省29年の実績

 
1.「年金の山口」と令名の高かった山口新一郎年金局長(当時)の素晴らしい年金改革に私も参画し、半永久的に安心な年金に改革、女性の年金権の確立も行いました。局長の遺志を受け継ぎ、年金の熊代として年金を守り続けています。
 
2.同和問題の根本的解決を強力に進めた
厚生省から総務庁地域改善室長に出向し、それまでの室長が現状維持に留まって居たのを、決意を固め、同和問題の根本的解決に取り組みました。相当な成果が上がったと思います。
 
3.「令和の農地解放」実行を決意
厚生省から国連に3年間出向し、ニュウヨーク郊外のスカースデイルという美しい村(NYの田園調布と私は呼んでいます。国連迄電車で30分で通勤できます。)の270坪の土地に古い小さい家が立っているものを800万円で購入し3年間住みました。当時も今も日本の田園調布では270坪の住宅地は約20億円します。NYの郊外では当時も今も住宅地はタダで、800万円は古い家の値段です。どうしてそうなるのか。アメリカと日本では全く実情が違うので学ぶべきことは何も無いと言ってしまえばそれまでですが、何か学ぶことがある筈だ。多分、連邦政府も州政府も市町村の土地政策に一切干渉しないことに秘密が隠されていると思います。日本では農地は中央政府が一切管理しています。農地の1/3を市町村に使い方を一切任せたら、大きな変化が起こるのではないでしょうか。「令和の農地解放」をやろうと決意しました。若者、壮年がもっとのびのびと生きて欲しい。息苦しい規制を取り除くことこそ、真の少子化対策でもあります。
 
無所属に徹しての岡山市議会議員の道を見出し、努力してきました。
 
4選目に落選し、今「難局」に直面しています。 
 
<「シロクマ」は北極で強いが「クマシロ」は南極(難局)で強い。>クリスチャン仲間である35歳の備(そなえ)氏の父上が考えて下さったキャッチコピーです。
 

  • 政界裏話

 
・福田赳夫氏と田中角栄氏の総裁選 
佐藤栄作総裁の後継を争った角福戦争は余りにも有名です。後継の本命と見られた福田氏が、197275日の総裁選の決選投票で、田中氏282,福田氏190票で田中氏に敗れました。この時私は32歳で厚生省の若手職員でしたが、YF衆議院議員から事前に、今回の総裁選は田中の勝ちだ。田中が札束で自民党議員の横面を叩いたと聞かされました。結果はその通りでした。私の山カンでは、1人当たり1,000万円位の金が渡されたのではないかと感じます。
ある新聞が大きな囲み記事で「自民党を法で縛れ」という意見を載せたことを、今もハッキリと思い出します。福田氏は金で多数派工作をすることを勧められても頑としてはねつけました。
 
19741126日田中総理退陣。後継総理は三木武夫氏。19761224日から福田
1978121日まで。福田赳夫氏の存在は自民党の歴史に特筆されるべきだと思います。なお1976727日ロッキード事件で田中元総理逮捕。5億円の収賄の容疑です。
2.小沢一郎衆議院議員の自民党離党
小沢氏は19936月に離党して新生党を作りました。経世会(竹下派)の竹下登会長が後継者に人柄が穏やかな小渕恵三議員を指名したのに反発して。直後の7月の選挙で私が初当選した時点のことですが、当選1回から3回までの若手はほとんど皆小沢氏について行きました。小沢氏が若手の選挙の面倒見が抜群に良かったからです。私を含めて3人の当選1回生が経世会に残りました。自民党VS小沢一郎氏のその後30余年、そして今も続く戦いの始まりです。
 
3.豪華な同期のさくらの顔ぶれ
この時の初当選同期に安倍晋三、岸田文雄、茂木敏光、野田聖子等の各氏が居ました。
 
4.自社さきがけ連立で村山富市社会党党首を総理に担ぎ、政権に復帰
野党として苦しんだ自民党は、1994630日、社会党党首の村山富市氏を総理に担いで自社さきがけ連立政権を樹立、政権に復帰しました。村山総理は1996111日に内閣総辞職。自社さ政権協議で、その時の自民党総裁橋本龍太郎先生を首班とする連立に合意、第1次橋本連立内閣が成立しました。奇手を使っての政権復帰は良かったと思います。 
 
5.菅直人厚生大臣の真っ赤なウソ
19961月に菅直人氏が橋本内閣の厚生大臣に就任。2月にエイズ問題に取り組む東京原告団の座り込みがあり、その集会が終わる直前に菅厚生大臣が原告団を大臣室に招じ入れて、いわゆる「郡司ファイル」を出して、こんな重要な書類が隠されていたと「謝罪」しました。テレビにそのファイルが大写しになったので、その当時のエイズ問題担当課であった細菌製剤課の前課長郡司篤晃医師には、そのファイルがどんなものかすぐ分かりました。それは新任の技官補佐が着任そうそう、自分の勉強のために書いては郡司課長に見せた論文をファイルした「ゴミファイル」でした。(郡司篤晃著「安全という幻想―エイズ騒動から学ぶー」p148)。菅厚生大臣は全くのウソを言ったのです。しかし、テレビはそんなことを全く無視して厚生省が責任のがれをするために重大な書類を隠していてそれを菅厚生大臣が発見したと報道し、恐ろしいメディアスクラムが始まりました。菅氏は大変な人気で2011年には民主党内閣の総理大にもなりました。
 
6.郵政民営化は3事業一体の民営化でなければだめだと反対投票をいれました
200588日に郵政民営化法案が参議院で否決され、同日衆議院が解散されました。私は衆議院で民営化には賛成だが郵便、貯金、保険の3事業一体の株式会社でなければ、郵便部門が赤字になるので問題だと反対票を投じました。党議拘束に反したので911日投票の衆議院選挙で公認されず、岡山市長(当時)の萩原誠司氏が私の岡山2区に刺客として名乗りを挙げ、私は岡山市長選に出ました。市長選で敗れて、国民新党の参議院全国区で立候補し、落選。次に衆議院岡山2区で立候補しようとしたら、亀井静香氏が某元国会議員の秘書をそこで立てるので1区に回れと言ってきたので、無所属で2区で立候補、落選しました。この経緯で亀井氏は信頼できるリーダーではないと分かり、離党し、以後無所属で、市民に一番近い市議会議員が一番自分のやりたいことだと目覚めて、挑戦を続けています。
 
7.立憲民主党の代表選の結果に違和感
2024923日に立憲民主党の代表選があり、決選投票の結果野田佳彦氏232ポイント、枝野幸男氏161ポイントで野田氏が勝利しました。私は枝野氏が立候補すれば、党の創設者でもあり、楽勝だろうと予想していましたが、小沢一郎氏が野田氏支持を表明してから情勢は変わりました。何の根拠も無い憶測ですが、剛腕小沢氏が裏で強力な影響力を行使したのではないかとも思い、何故か違和感を感じました。
8.政治と裏金
202541日現在、企業団体献金の禁止か否かで各党が争っていますが、私は企業団体献金の完全禁止を主張しています。企業は留保する金以外は、社員か株主に全部分配するのが筋です。個人に還元した上で個人が政治献金をすべきです。個人献金も政治家個人への献金は禁止されており、政治家の政治団体に寄付することになっています。寄付の上限は一政治団体あたり年間150万円です。企業団体献金は政党とその支部にのみ許されていますが、政治家は自分の政党支部を持っており、野放し状態です。これをすべて禁止する。企業団体が作る政治団体に対する企業団体献金も禁止する。パーティ券の購入も同様に厳しく規制する。外国人の購入は許さない。政党交付金が税金から交付されているのだから厳しく規制しなければ、裏金が跋扈する金権腐敗政治を根絶できません。
 
9.裏金の渡され方
必ず1;1で渡す。そうすれば相手が貰ったと言ってもこちらが渡してないと言えば水掛け論になって逮捕されることはない、というのが政治の世界の常識になっているように見えます。国会議員の政治団体から県議、市町村議の政治団体への寄付は合法的ですが、選挙が近い時に行えば投票依頼とみなされて逮捕される恐れがあり、裏金で1;1で渡した方が安全だと言うのが常識化されているようです。企業団体献金を、パーティ券も含めて厳しく制限して金権政治の元栓を厳しく締めなければなりません。
 

  • 人生の意味を見つけるための「逆説の十か条」(Paradoxical Commandments)はマザーテレサが大いに影響を受けたものです。(全文はググって下さい。)

 
その第五「正直で率直なあり方はあなたを無防備するだろう。それでもなお、正直で率直なあなたでいなさい」に私は感銘を受けました。「神は義なり、イエスは愛なり」「罪が許されて永遠の生命を与えられる希望に燃えています」が私の正直で率直な思いであり、希望です。無防備になっても正直で率直でありたいと思います。そしてこの岡山を、日本を、さらには世界を、少しでもより良い所にするために、微力の限りを尽くしたいと決意しています。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
〇 防災対策の抜本的充実 特に河川対策予算を道路予算の2倍以上にする!
 
豪雨による堤防の決壊、、その惨状、恐るべき被害である。河川改修には道路予算の2倍の以上を充てなければならない。行政は現状維持か、少しばかりの改善しか出来ない。道路予算の2倍以上の河川対策予算を付ける。政治の強力なリーダーシップが必要だ。
 
〇 山林対策を国の重要施策に位置付ける。(未完)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2018年7月の西日本豪雨では、堤防の決壊、山崩れ等で多くの方々が犠牲になられました。災害の少ない県であった岡山でも多くの方が帰らぬ人となられ、また、災害からの復旧に苦闘して居られます。お亡くなりになったかたがたのご冥福を衷心よりお祈り申し上げますとともに災害からの復旧に苦闘して居られる方々に一日も早く平穏な日常が回復されますように衷心よりお祈り申し上げます。
 また復旧にご協力頂いているボランティアの方々、自衛隊や役所の職員の方々に心からなる感謝を申し上げます。
 今後の対策としては、特に堤防の決壊の防止に予算と労力を圧倒的に注ぐ必要があります。予算が不足する場合は、道路予算を大幅に削減してでも河川改修の予算を抜本的に増やすよう、大きな政策の変更を求めて、世論を結集して参りましょう。